アンダーセン・コンサルティングからアクセンチュアへ:企業変革の軌跡

 

Accenture Timeline

沿革―日本におけるアクセンチュア

 

アンダーセン・コンサルティングとアクセンチュア

アーサー・アンダーセン(Arthur Andersen & Co.)のコンサルティング部門は、1970年代から1980年代にかけてその重要性を増し、従来の会計・監査・税務業務よりもはるかに速いペースで成長しました。


さらなる規模の経済を追求するために、1989年にはプライス・ウォーターハウス(Price Waterhouse)とアーサー・アンダーセンの合併が協議されましたが、交渉は失敗に終わりました。主な理由は、アンダーセンがIBMと強い商業的な関係を持っていた一方で、PWがIBMの監査を担当していたという利益相反や、両社の企業文化が根本的に異なっていたことなどです。


合併交渉に関わった関係者によれば、最終的にテーブルについたパートナーたちは、自分たちのビジネスに対する考え方があまりに異なることに気づき、合併の話は打ち切られました。

1989年、アーサー・アンダーセンとアンダーセン・コンサルティングは、アンダーセン・ワールドワイド・ソシエテ・クーペラティブ(Andersen Worldwide Société Coopérative)の下で別々の事業部門となりました。しかし、両者は1990年代を通して激しい対立を続けました。アンダーセン・コンサルティングはこの期間に大きな利益成長を遂げましたが、それでもアーサー・アンダーセンに支払わなければならない移転金に強く不満を抱いていました。

2000年8月、国際商業会議所(ICC)の仲裁により、アンダーセン・コンサルティングはアーサー・アンダーセンからの独立を認められました。一方で、過去にエスクロー(預託)に積み立てられていた支払い金12億ドルはアーサー・アンダーセンに支払うよう命じられました。また、アンダーセン・コンサルティングは今後「アンダーセン」の名称を使用してはならないと判断されました。

その結果、アンダーセン・コンサルティングは2001年1月1日に社名を「アクセンチュア(Accenture)」に変更しました。


一方、アーサー・アンダーセンは「アンダーセン・コンサルティング」の名称を保持する権利を得て、自らを「アンダーセン」と改称しました。

 

From Wikipedia: Arthur Andersen

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